観劇

京都労演で一緒に劇を見ませんか!
京都労演は鑑賞団体です。7回/年の例会があり、劇を鑑賞しています。
また単に劇団側から示される劇を鑑賞するだけでなく、見たい劇・要望を劇団側に伝え、共に良い劇を作るため頑張っています。

 

京都労演の詳しいことは

これからの例会

2025年12月 

人形劇団プーク公演
『オッペルと象』

 

原作/宮沢賢治
脚色・演出/井上幸子
出演/大橋友子・滝本妃呂美・柴崎喜彦 他

12月7日(日) 午後2時30分開演
   8日(月) 午後6時30分開演

会場=呉竹文化センター

美しく強く、ピュアな大人の人形劇。

南の国のある村。傲慢な農場地主オッペルは、百姓たちを酷使していた。そこへ、群れを離れ新しい世界を求めて白象がやってくる――。
詩情あふれる宮澤賢治の世界を、人形劇ならではの表現で。

2026年2月 

劇団NLT公演
ミュージカル『O.G.Ⅱ』~歌って、生きて~

脚本・作曲/まきりか
演出/本藤起久子
出演/阿知波悟美・旺なつき 他

2月7日(土) 昼
  8日(日) 昼 ※開演時間は未定です。

会場=府立文化芸術会館

あの2人が帰ってくる!!

「シミ~♪ しわ~♪ ほうれい線~♪」大ブレイクから6年。「O.G.」オールドガールズも今や世間から忘れ去られ、熱海で小さなスナックを営むスミちゃんの元に、失踪して音沙汰無しだったカズちゃんが、突然訪ねてきた。ギクシャクする2人。「O.G.」復活はなるのか!?

2026年4月 

劇団文化座公演
『母』

 

原作/三浦綾子  脚本/杉浦久幸 
演出/鵜山 仁
出演/佐々木愛・藤原章寛 他

4月23日(木) 夜
  24日(金) 昼

会場=呉竹文化センター

ほれっ! 多喜二、もう一度立って見せねか!

1933年2月20日、小林多喜二が特高警察によって虐殺された。多喜二の母セキは、貧しい中、学校に通えず13歳で結婚、懸命に働き6人の子を育てた。思想やイデオロギーを越え、一途に息子を思う、底抜けに明るいセキを佐々木愛さんが熱演。


お問い合わせ➡京都労演 TEL075-231-3730 FAX075-211-7855


観劇感想

2025年4月 劇団前進座公演
『あかんべえ』

現実と妖しの世界が微妙に交錯する独特の空気感が漂う宮部みゆきの小説の世界をどう舞台化するのか?大変興味深く思っていた前進座公演。
料理屋「ふね屋」を開こうとした場所には、五人の「お化けさん」が成仏できずに彷徨っていた。高熱に倒れ死の淵をさまよったふね屋の一人娘おりんは、お化けさんが見えるようになり、お化けさん達と関わっていくうちに、おりんの優しさが、お化けが成仏できずにいる理由を解きほぐし、30年前の一つの事件へと収斂していく。そしておりん自身の秘密も明らかになる。その謎解き的おもしろさ。
一つの舞台空間の中に現実と妖しの異なる世界をうまく融合して表現させ、また、怨霊たちの世界を歌舞伎的表現―立ち回り、所作、道具、等々―を用いて、見事に表現していた。
人間の欲・妬み・恨み等々から生まれ出る妖しの世界も、優しさの中で見事に溶けていく。

宮部みゆきワールドを見事に表現した舞台だった。
充分楽しませてもらった。

2025年6月 劇団チョコレートケーキ公演
『ガマ』

沖縄戦の実情については、時折聞かされるが、どこか他人事として捉えている面がある。
島民を巻き込んだ戦略は、本土決戦を遅らせる、終戦の可能性を探る、といった目的があったのだろうし、そのために島民が巻き込まれることなど全く考慮されていなかったのだろう。国民総動員の考え方がそれを可能にしていたのだろう。
より深く知り、自分の中に刻み付けておかねばならない。
ただ、軍部上層部の沖縄での血戦という考え方の裏に、沖縄人と本土民とは異なるというような意識がなかったか?

生徒を引率して、軍と共に島の南部に移動していた教師…米軍の攻撃で命を失っていく生徒の状態を目の当たりにし、耐えられず、北へ逃げた教師。命令とはいえ突撃で小隊を全滅させ、生き残った少尉。それぞれに重い思いを抱えながら、ガマに潜む。
その少尉を助け・介護する少女…看護隊員として奉仕を命ぜられ、日本の勝利を信じながら戦争遂行に協力しようとしている。
その一途な思いに悲しみを感じると共に、徹底した皇民教育が、ここまで人を変えてしまうのか、その恐ろしさを痛感した。

それでも、生きること、そしてこの戦争の実情・意味を考え続けること、“命こそ宝”ということをしっかり自分の物とするのだ、という知念老人の言葉が、正に救いであり、生きる力になっていくのだ、としみじみ感じた。

2025年8月 文学座公演
『欲望という名の電車』

大農園主の娘から落ちぶれ、娼婦まがいの生活を送りながらも、全てを失っていく現実をわかりながらも、その現実を認めようとせず、自らの高貴さ・気高さを失うまいとして、自らを偽り、架空の生活に身を置こうとしているブランチ。

妹の夫スタンリーにその嘘を暴かれ、現実を突きつけられた時、スタンリー夫婦の元を去るようバスの切符を手渡された時、救いの主になりそうだったミッチーに、自らの今の生活までのいきさつを知られ、なじられた時、遂に壊れてしまう。

何らかの施設(精神病院?)に収監されることになった時、その事実を知り、激しく抵抗するも、最後はあきらめ、救いを求め、昂然と妹の家から去っていく時の態度は、哀れに思えた。

それにしても、今から6,70年も前に、極端に男性優位の南部の州を舞台に、翻弄される女性を描く中に、若き頃の結婚相手の少年の自殺、それも同性愛を絡めての中での自殺、というような話題を提示し、また、大農園主の娘からの没落という、社会問題を取り上げたテネシーウィリアムズの名作といわれる作品。その重厚な・濃厚な舞台に感心した。

2025年9月 イマシバシノアヤウサ公演
『モジョ ミキボー』

今一つよくわからない劇だった。宗教的対立、内戦等の中で、何か閉塞感の中での鬱屈する若者のエネルギー。どこへそのエネルギーをぶつけて行ったらいいのか。
街を走り回り、他のグループとの喧嘩、喫煙、等々。
どこかへ抜け出していきたいとの夢。バスに乗って出かけていくが、結局元の街に戻ってくる。
そのほとばしるエネルギーの発散も、結局むなしいものに見えてくる。
2人だけの出演で、ちょっとした小道具を使って、母親・父親、その周辺の女性、喧嘩の相手、など17役を演じるという動きが面白かった。
2人の仲もミキボーの父の死を境に、それぞれの民族の対立の中で、破綻していく。年を経て、道で出会っても、知らぬ顔をして去っていく。
でも、夢は捨てないとの思い?の末の2人に少し救われた気がした。

2025年10月 こまつ座公演
『きらめく星座』

知らず知らずのうちに、言葉が制限され、音楽も制限され、やがて物資不足と食料品・日用品の配給態勢。統制をかいくぐっての買い出し、近所同士が、お互い監視しあうような世の中。
太平洋戦争に突入する前の1年間を描いた劇だったが、こういう世の中の動きに引きずられ、次第に戦争に加担していく怖さを感じた。
しかし、傷痍軍人でみさをの夫になった源次郎の家族の行動を戒める言葉に、これこそいい歌だと勧める歌に、元は外国の歌だと反論し、「良いものは良い」と言い切る信吉。そして家族みんなで歌う素晴らしさ。せめてものオデオン堂の面々の反骨精神か。
星空は『全ての人々に同等に光り輝いている』、、そして自ら身籠った子供の命を絶とうとするみさをにかける竹田の言葉「長い長い時間の中で人間が生まれ出てきたことは奇蹟だ。ピカピカの奇蹟だ。だから私達は生きなければならない」。……原作者井上ひさしの人間を深く愛し、信じる言葉だ。我々にかけられた言葉だ。
だから、私達は、平和を希求し、生き続けなければならない。

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