京都労演で一緒に劇を見ませんか!
京都労演は鑑賞団体です。6回/年の例会があり、劇を鑑賞しています。
また単に劇団側から示される劇を鑑賞するだけでなく、見たい劇・要望を劇団側に伝え、共に良い劇を作るため頑張っています。
京都労演の詳しいことは
これからの例会
2024年10月
俳優座劇場プロデュース公演
『夜の来訪者』
作/J・B・プリーストリィ
脚色/八木柊一郎
演出/西川信廣
出演/柴田義之・瀬戸口郁 他
日時= 10月6日(日) 午後4時30分 開演
10月7日(月) 午後6時30分 開演
会場=呉竹文化センター
彼女は何故、死んだのか!? 社会派ミステリーの傑作。
1940年、春。戦争の中で財を成した資本家・倉持家。娘の婚約者との一家団欒の場に突然訪れた、警部を自称する男は、ある女性の死を告げ、家族一人ひとりに質問を始める。和やかな応接室は一転、疑心暗鬼のるつぼに陥っていく――。
2024年12月
劇団東京ヴォードビルショー公演
『その場しのぎの男たち』
作/三谷幸喜
演出/鵜山 仁
出演/佐藤B作・佐渡 稔・あめくみちこ 他
日時= 12月8日(日) 午後4時30分 開演
12月9日(月) 午後6時30分 開演
会場=呉竹文化センター
政治家を笑う、伝説の傑作喜劇!
お問い合わせ➡京都労演 TEL075-231-3730 FAX075-211-7855
観劇感想
2024年2月 加藤健一事務所公演 『サンシャイン・ボーイズ』
抜群に楽しい劇だった。クラークとルイス(加藤健一と佐藤B作)の絶妙の言葉のキャッチボール。皮肉に皮肉で返すやり取り。この面白さに尽きる。
それにしてもクラークはなぜあれ程ルイスとの再演を嫌ったのだろうか?43年もの長きにわたって組んできた相棒なのに。
「顔を見なくなって11年、口を利かなくなってからは12年」…何がそこまでクラークを追い込んだのか?“コント上での胸の突き、飛び出してくる唾”、とクラークは語っていたが、そうではないのでは。
クラークもルイスとのコント…大いに受けてるとは言うものの長きにわたって続けてきたコント…に、ある意味限界を感じ始めていたのではないか?そんなある日突然にルイスが
「もうできない。すまない。」の言葉を残して去っていった。先を越されたような行動に腹立たしく感じたのではないか?
それがこじれ、2度と会いたくない。という気持ちが……
それにしても、未だに自分の才能を信じ、仕事が回ってこない、受けない、そんな自分に苛立ち、しかし甥でマネージャーのベンにも虚勢を張ろうとする。
久し振りに会ったルイスから、“ギャグを楽しんでなかったのじゃないか?生真面目に考えすぎていたのではないか?ギャグはしょせんギャグさ”と言われたように、ヴォードヴィルに余りにも気まず目に取り組んでいたかもしれない。
ルイスのように、ある意味限界を感じ、スーッと消えて田舎でのんびりするのも良かったのでは?
それにしても、今でも自分をすごい芸人に見せようとする意地、虚勢は立派なものだが、ついに心臓発作を起こす。
そんなクラークに陰ながらものすごく心配するルイスの優しさ。でも、見舞いに来て、クラークの虚勢に会うと、ついつい自分も虚勢を張ってしまう。田舎暮らしの充実を語ってしまう。
ニュージャージーの老人ハウスに入ることを告げ、たまには顔を見せてくれというルイスに、自分も入ることを決断しつつあったクラークは“そういうことはありかも”と答える、
その最後のある意味での和解の2人のコメディアンの姿が、暖かかった。
ニールサイモンの喜劇。言葉のやり取りの素晴らしさ、醸し出す楽しさ、笑いはさすがである。
2024年4月 劇団東演公演 『獅子の見た夢~戦禍に生きた演劇人たち~』
治安維持法の適用拡大、日中戦争から太平洋戦争への戦禍の拡大、そして演劇人たちへの圧力。なかなかその実態は分からなかったし、言葉では語られていても、自分の中へはなかなか入っていかなかった。
しかし、何とか芝居を続けたい、芝居を通じて自らの思いを観客に訴えていきたい、と必死で稽古に励む劇団員の切実な思いは、よーく伝わってきた。
中心の3人(丸山定夫、八田元夫、三好十郎)の新劇にかける思い、そして迷いながらも芝居の道、そして決死の覚悟で広島行を目指す劇団員の熱い思い……。
なかなかいい芝居だった。
2024年6月 劇団前進座公演 『人情噺「文七元結」』 併演楽しい歌舞伎
なかなか楽しい時間だった。
酒と博打に明け暮れて仕事をまともにせず、借金だらけで年も越せそうになく、女房と子供を泣かせている左官長兵衛。しかし根が単純なのか、正直なのか。
娘お久が思い余って、吉原の佐野屋に自ら身を売って、お金を作ろうとする。
佐野屋に呼び出された長兵衛は、少し渋っていたが、素直に娘に謝り、酒も博打も絶つと誓って、50両の借金をもって帰宅へ。
帰り道、集金の50両を盗まれ、思い余って身を投げようとしている文七に出会い、迷った挙句、“命は金より大事”と、50両を投げ与える。
帰宅し、50両はどうしたと、女房ともめる長兵衛。話が通じず、ふてくされて寝ようとする長兵衛のもとへ、文七と店の旦那和泉屋清兵衛が現れ、文七は50両を取られたのでなく、賭場に忘れていた。金は和泉屋に戻り、事情を聴いた和泉屋の計らいで、長兵衛の娘お久をもらい受け、文七との仲も取り持つ。
実にめでたい大団円の話。
解りやすい単純な話なのだが、長兵衛が、迷いながらも50両を投げだすまでの心の動き、
和泉屋が返すという50両を本当はほしいのだが見栄を張って突き返そうとする江戸っ子のやせ我慢、何とか受け取ろうとする女房お兼の動き、実に落語的な話の展開・動き、に、圓朝の話作りのうまさを感じた。
また話とは別に、裏長屋のうらぶれた家から短時間で、鮮やかな吉原置き屋に入れ替わる舞台設定-大道具の見事な働きに感心。
演劇教室で、紹介のあった、太鼓の音であれだけいろいろのものを表しているとは知らなかった。雨・雷などの天候。盗人の雪の中を歩く様、武士の威張った歩き、取り手との戦いの様、等々。
単純な、笛・太鼓・三味線といった楽器が、いろいろの情景を醸し出している。
なかなか奥の深いこと。
2024年8月 劇団NLT公演 『マグノリアの花たち』
アメリカ南部の町の美容室に集う6人の女たちの物語。
それぞれの過去・問題を抱えながらけなげに生きている女たち。それぞれの過去の生活・問題といいながら、主役といって良いシェルビーの生き方に余りにも話が集中しすぎ、他の人達のありようが今一つ分からなかった。
アメリカを中心に世界各地で上演されてきた名作というが、残念ながら私には余り訴えかけてくるものがなかった。