観劇

京都労演で一緒に劇を見ませんか!
京都労演は鑑賞団体です。6回/年の例会があり、劇を鑑賞しています。
また単に劇団側から示される劇を鑑賞するだけでなく、見たい劇・要望を劇団側に伝え、共に良い劇を作るため頑張っています。

京都労演の詳しいことは

これからの例会

2022年8月 2022年11月再演

劇団青年座公演

『明日 一九四五年八月八日・長崎』

原作/井上光晴 脚本/小松幹生
演出/鈴木完一郎
出演/松熊つる松・津田真澄・五十嵐 明 他

日時=11月14日(月) 午後6時30分 開演

会場=呉竹文化センター

長崎の、あるはずだった「明日」を描く――。

原爆投下前日。様々な事情を抱え懸命に生きる人々の、ささやかな日常。
映画化もされた井上光晴の名作が、ピアノ、ヴァイオリン、チェロの生演奏によるヴェートーヴェン「悲愴」の調べと共に、深く静かに心に染み込みます。前日。様々な事情を抱え懸命に生きる人々の、ささやかな日常。

※写真は初演時のものです。

*新型コロナ感染者発生による8月例会2日目(8/22)の延期公演です。

2022年11月

劇団チョコレートケーキ公演

『帰還不能点』

作/古川 健
演出/日澤雄介
出演/浅井伸治・岡本 篤・西尾友樹 他

日時= 11月25日(金) 午後6時30分 開演
    11月26日(土) 午後1時 開演

会場=呉竹文化センター

戦争への道を引き返せなかった、あの時。

なぜあの時、この国は引き返せなかったのか? 大日本帝国を破滅させた文官たちの物語。
『治天ノ君』、『あの記憶の記録』の実行委員会公演で大好評を博した劇団チョコレートケーキ、いよいよ例会に登場です!!

*会員以外の人も、1ヶ月会費+入会金(一般¥4,500)で観劇できます。詳しくは京都労演事務局へ。(TEL:075-231-3730)

2022年12月

劇団NLT公演

MUSICAL『O.G.』

作/まきりか
演出/本藤起久子
出演/阿知波悟美・旺なつき・池田俊彦

日時= 12月17日(土) 午後3時30分 開演
    12月18日(日) 午後2時 開演

会場=府立文化芸術会館

人生は、いつだって、これからよ!!

O.G.は「オールド・ガールズ」。
新宿・歌舞伎町の場末のキャバレー「ミラクル」。
この店で歌い続けてきた二人の女性に奇跡が起きる――!?
阿知波・旺の魅力の共演、圧巻の歌唱力と存在感!
明日への元気がもらえる舞台。

お問い合わせ➡京都労演 TEL075-231-3730 FAX075-211-7855


観劇感想

10月例会 イッツフォーリーズ公演

ミュージカル『てだのふあ』

音楽と歌を楽しみながらも、小学生のふうちゃんと共に沖縄という島の事、人々のことに思いを馳せ、何となく考えさせられる劇だった。

「てだのふぁ おきなわ亭」に集う人たちの歌、踊り、がなり声、喧嘩、といったまるで喧騒に包まれた町の一隅といった感じが頭に入ってこず、少々うるさいなー、という感覚にとらわれていたが、ふうちゃんの行動…お父さんの病気のこと、沖縄のこと、ろくさんのかなしみ、周りの人達の怒りや悲しみ、を知り、もっともっと知っていきたい、という気持ち…につられて、なんか考えさせられる状況になり、舞台に引き込まれていった。

でも一つだけ疑問に思ったのは、鉢植えの木を“おとうさん”と呼んでいたが、心を病んだお父さんをなぜあのような形で、象徴のような形で登場させたのか?その意図がわからなかった。

挿入歌「ここはどこだ」は、解説書で読んではいたが、実に身に染みるいい歌だった。何かを感じさせ、考えさせる歌だった。

6月例会 俳優座劇場プロデュース公演

 『罠』

誰が罠にかけられているのか?
アルプス山脈が一望できるリゾート地、シャモニー郊外の山荘で起こった不思議な話。
妻のエリザベートが山荘から失踪してしまう。警察に捜索願を出したものの、落ち着かないダニエル。
数日後エリザベートを連れて神父が訪れるが、彼女はダニエルがあったこともない女性。
彼女はエリザベートと名乗り、夫ダニエルが病気にかかっていると主張。
誰が誰を罠にかけようとしているのか?何のために?
混乱する警部。
話の進展とともに罠にかけられようとしている人物はそれとなくわかってきたが、何故罠に?
実にテンポのいい話の展開に、ハラハラ・ドキドキ。
最後の話で、ストンと腑に落ちた。
スカッとした、ミステリー劇だった。でも単なる謎解きの話でなく、人間の身勝手さや無責任さなども鋭く描いたおしゃれな喜劇だった。
60年近く前の脚本なのに、古臭さを全く感じさせない。世界中で何度も上演されているというのがよくわかる、しゃれた喜劇だった。

4月例会 劇団前進座公演

 『ひとごろし 喜劇一幕』

面白い一幕劇だった。みんなから臆病者と言われ続け、自分でもそんな風に思っている双子六兵衛。ひょんなことから、“一生に一度は誰かの役に立ちたい。”と、上意討ちに名乗りを上げてしまう。しかし相手は腕に自信の剣術指南役、仁藤昂軒。昂軒の狼藉に耐えかねた家老達の指名で諌言に出向いた、殿様お気に入りの小姓頭を殺してしまう。職を辞し、悠々と旅に出る昂軒。
名乗りを上げた手前何とか後を追う六兵衛。しかし向かう所敵なしの昂軒相手では、逆に返り討ちに合いそう。
考えあぐねた結果六兵衛の取った戦術とは…………
その思いもよらない戦術に、“なるほど!”と感心。また昂軒を首尾よく追い詰めた後の意外な結末。
弱者の視点にたった山本周五郎なりの発想が面白かった。
「柳橋物語」「さぶ」などの江戸人情物は大変気に入ったし、「葦はみていた」「おごそかな渇き」などの小説類も読んではいたが、こんな“喜劇もの”も書いていたとは知らなかった。
時間を忘れて話の展開に夢中になった、1時間半があっという間だった。
4人が30人を演じ、鳴り物も全て自分たちで、という、語りと所作だけで舞台装置もない空間が見事にいろいろの場面に転換していく。
狂言にも通じるような見事な展開だった。

2月例会 こまつ座公演 

 『雪やこんこん』

大衆演劇一座の物語。大衆演劇がすたれていき、また戦後の混乱期で、碌に飯も食えない時代、分解寸前の旅回り中村梅子一座。座長を含めて6人にまで減ってしまった一座。たどり着いたは雪深い東北の温泉街。
座員たちを纏め、何とか一座を盛り立てたい座長。一世一代の大芝居。
元役者の宿の女将、小屋主でもある。その女将との丁々発止の大芝居。
涙と人情の揺れる中で、女将の役者復帰まで成し遂げて、やがて一座は公演へ。
井上ひさしの奥深い脚本、笑い・涙の中で、何か心温まる物を感じるすばらしい舞台だった。

———-2021年例会———-

12月例会 無名塾公演 

 『左の腕』

無宿人で元は何か悪いことを犯しながらも、今はまっとうに娘とつつましく暮らしている卯助。長屋での知り合いの銀次の引きで、銀次の働く料理屋松葉屋で働くことになった。ところが、この料理屋周辺を縄張りにする稲荷の麻吉が、卯助の左の腕に巻かれた白布から卯助が無宿人であることを突き止め、料理屋を強請り、卯助の娘おあきに執拗に迫る。ある夜この料理屋に盗賊が押し入り、銀次・おあき・麻吉たちを縛り上げた後、金品を奪おうとする。そこへ現れた卯助、盗賊に立ち向かうが、その途中この盗賊の首領は、卯助のかっての盗賊仲間だった。

盗賊に金品を奪われることはなかったが、卯助の過去が全て現わになる。

わかりやすい、筋立ての世話物話。松本清張氏らしい筋立て、結末の話だった。

それよりも90歳近い仲代達矢の軽い物言い、また麻吉に対峙するときの凛とした物言い、さらに盗賊達との立ち回りなど、さっそうたる態度に渋さ・かっこよさ・凛とした気配、を感じ、

実に見事、と感心せざるを得なかった。

10月例会 オペラシアターこんにゃく座公演

オペラ『イヌの仇討あるいは吉良の決断』

超有名な『仮名手本忠臣蔵』『元禄忠臣蔵』、それを吉良の立場から見てみれば、という井上ひさしの原作を、林光がオペラ化。
全ての常識も、思い込みを疑う井上ひさしのような目から見ると、「何故わしが、吉良が討たれなければならないのか?」、「大石は、何故私を敵呼ばわりするのか?」。
オペラ独特のリズムと、女性陣の甲高い声が、やや聞き取りにくかった。もし原作を読んでなかったら、内容を十分理解できたかどうか?ただ、動きの面白さ、があった。
最後の、さんざん悩み考えた末に、吉良上野介が到達した結論とは?上野介の納得と決断、ただただいうことを聞いてきた”お上”のなさりよう…赤穂の残党の不満・それとなく赤穂びいきになっていく庶民、に迎合しつつ、お上のなされようへの不満を解消させる。吉良を切りすて、悪者にしていこうとする…そういう策略か?”じゃあ乗ってやろうではないか!末代まで悪者になってやろうではないか!”、吉良の決断。最終場面での、吉良の決断が勇ましく、決まっていた。

月例会 劇団文化座公演

 『命どぅ宝』

戦後米軍の強制土地収用に非暴力で闘った伊江島の「島ぐるみ闘争」の舞台化。
敗戦後、米軍に自分たちの耕す土地を強制的に立ち退かされ、しかも何の補償もなく。が、困惑と猛烈な怒りを覚えながらも、鉄条網で囲われてしまった自分たちの土地の鉄条網近くに小屋を建て、住み、“民主主義の国アメリカが、そんな酷いことをするはずがない”と、軍民政府にひたすら低姿勢でのお願い・陳情という形での非暴力の戦いを続けていく阿波根昌鴻たち。
米軍の目を盗んで、鉄条網内に入って耕作し、何とか作物を作ろうとする。しかし、カービン銃で脅され、追い出され、やがて作物は全て重油を撒いて焼き尽くされる。
食べるものも無い。が、軍民政府は、生きていける補償すらしない。
ついに乞食行進と呼ばれた沖縄全土での抗議行動へ。沖縄本島、さらに日本国内の労働組合などからの支援で、何とか息をつなぐ。
息の長い戦いの中で、沖縄人民党の瀬永亀次郎との出会い、そして沖縄市長選での瀬永の勝利・米軍への補償要求闘争。
長い苦しい闘いの中でも、悔しさ・怒りを爆発させず、粘り強く、笑いながら、生き、闘っている農民たちのほんとに地に着いた闘いに敬服した。
今に続く沖縄の人達の闘い。つい他人事に感じてしまいがちな日常への警告だった。

月例会 トムプロジェクト公演

 『Sing a Song』

新型コロナウィルスの影響で、昨年4月見逃し)、今年5月の再演も延期。関係者の努力でやっと観劇できた。
淡谷のり子さんをモデルにした歌を交えての劇。
戸田恵子さんの澄んだ歌声が素晴らしかった。ロームシアターのメインホールは初めてだったが、その大きなホールいっぱいに響き渡る歌声・実に澄んだ歌声には、感動した。
国家–憲兵隊からの圧力にも全く屈せず、衣装・歌をすごく大切にしていた三上あい子…淡谷のり子さん…の凛とした生きざまに感動。
またそれを支えた成田さん、よっちゃんのすばらしさ。
それにしても、大東亜共栄圏・中国・米英との戦争遂行を正しいと信じて行動する憲兵隊長
ジャズなどの音楽を愛しながら、上からの命令で米英の音楽だと禁止させることが自らの使命と行動する中村大尉、現地の指揮官として、また最後鹿児島の特効基地の司令官として、
そうした国策・特攻攻撃の悲惨さを感じつつも反対することができず、せめて兵士のため・特攻大使のため、歌を送ろうとした葛西大佐。
何故誰もが、あの狂気といえる戦争遂行に反対することができず、悲惨な実に悲惨な大空襲
原爆投下を経て、敗戦にまで至ったのか。
敗戦後、自決する大佐、それでは済まないだろう。
いろいろ考えさせられる劇だった。

月例会 ピュアーマリー公演

 『殺しのリハーサル』

自殺した?女優モニカの死を疑う、恋人ー脚本家のアレックス。1年間の時を経て、モニカは殺されたのだと証明するため、その目的を隠して、かっての関係者5名をモニカが死の直前に出演していた劇場に招く。新たな1年ぶりに書き上げようとしている脚本のシーンを、それぞれの関係者に演じさせる。
が、それは新しい芝居の各場面でなく、モニカと5人のそれぞれの関係場面…モニカを殺す動機となりうる各場面をもじったもの。やがてアレックスの目的が5人にも明かされ、最も犯人に思える男が劇場から逃げようとし、アレックスに打ち殺される。
しかし、突然照明がダウン。暗闇での混乱の後、照明がつくと、実は誰も打ち殺されてなく、犯人は5人のうちの誰でもなかった。
”誰かが逃げ出そうとしたら止めてくれ、止めるために警察官役としていてくれ”、とアレックスに頼まれていた男が実は………
今までの5人とモニカの関係…モニカを殺そうとする動機をあぶりだすような各シーンは、5人とアレックスの打合せの基での芝居だった、とは。全ては、真の犯人とその証拠を明確にするためのものであった。

あの「刑事コロンボ」を生んだ名コンビ、リチャード・レビンソンとウィリアム・リンクの傑作。
見事などんでん返しの展開だった。

2月例会 劇団民藝公演

 『熊楠の家』

昔の米倉斉加年主演の舞台は、よくは覚えてないのだが、今回の熊楠-千葉茂則氏の方が、実像に近いイメージだったのではないか。…大柄な体躯、大きな声、など

それにしても100年以上も前に、自然と人間の関わり、有り様を“神社合祀反対運動”の中で発言・行動してきた南方熊楠の生き方、先進性については、考えさせられるものがあった。

運動の行き詰まりに対して金で解決できないかと動こうとする文吉を怒鳴りつけた時、“先生も自分のため—粘菌のために大木の伐採に反対してるのではないか?“と詰め寄られた時、”その通り、自分のためにやっている。それがみんなのためになると思って“という言葉があったが、実に重い言葉である。

在野で、貧乏しながら、自分の信念で生きてきた熊楠は、実に立派な人だ。

自然と人間の共存、人間も自然の一部だという考え、そして、その自然の宝庫である郷土の森をまもり、神島を天然記念物…人が入れない島にまでもっていった功績は立派なものだ。

1月例会 劇団銅鑼公演

 『おとうふコーヒー』

昨年6月例会の予定が、コロナ禍で延期。やっと公開。
いろいろな社会的問題を含んだ1幕だった。
認知症でありながらも、にぎやかなことが好きで、笑顔が素敵な老人、ふみさんだった。
おとうふとコーヒーを食べ、飲みながらの“頑張っぺ”という言葉がとても印象的で、何か元気づけられた。
特養というのは実に大変なところ、認知症はいろいろあって、必ずしもずーと記憶状態が悪いのでなく、まだら模様だという事。
でも、あそこまで、死を迎えるまで、とことん面倒を見るというホームは珍しいのではないか?待期の人が特養1所あたり平均100人以上という状況。
そういう意味では、ふみさんは幸せな人なのかもしれない。
でも人の死というものも、本来その人の望む形で迎えられるのが理想だと思う。その意味では、自分ならどういう死を望むのか、昨年ぐらいからエンディングノートというものを意識し始めたが、より真剣に、より具体的に考えるときがき始めているのかもしれない。
孫の瑞樹ちゃんというか瑞樹君の性同一障害の話。深刻な問題ながらも、1度泣き叫びながらも、“瑞樹はやはり瑞樹ちゃんだ”と、受け入れていたふみさん。
人間として認める、そんなストレートに、気負いもなく受け入れできる人・老人は素晴らしい。
幕開きの台風襲来での所員の慌てよう、少々オーバーに感じたが、孤立化し避難もままならない状況、ここ数年続く豪雨災害・老人施設での被害など、生々しく、実に大変なさまがよく伝わってきた。
民生委員の旗本さんのしぐさには、少し違和感も感じたが。

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