観劇

京都労演で一緒に劇を見ませんか!
京都労演は鑑賞団体です。6回/年の例会があり、劇を鑑賞しています。
また単に劇団側から示される劇を鑑賞するだけでなく、見たい劇・要望を劇団側に伝え、共に良い劇を作るため頑張っています。

京都労演の詳しいことは

これからの例会

2024年4月 

劇団東演公演
『獅子の見た夢     

~戦禍に生きた演劇人たち

原作/堀川恵子                              脚色/シライケイタ         演出/松本祐子
出演/能登 剛・南保大樹 他

日時= 4月26日(金) 6時30分 開演
    4月27日(土) 1時30分 開演

会場=呉竹文化センター

自由にものが言えない時代。彼らはどう生きたのか。

戦争の時代、芝居に情熱と夢を貫いた新劇人の姿。築地小劇場開場100周年の年に贈ります。

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2024年6月 

劇団前進座公演
『人情噺「文七元結」』

原作/三遊亭圓朝
脚色/平田兼三
演出/小野文隆
出演/藤川矢之輔・早瀬栄之丞 他

日時= 6月9日(日)  3時 開演
    6月10日(月) 6時30分 開演

会場=呉竹文化センター

腕はいいが遊び好き、江戸っ子の、左官の長兵衛一家の泣き笑い。

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2024年8月 

劇団NLT公演
『マグノリアの花たち

作/ロバート・ハーリング                                       演出/釜 紹人
出演/葛城ゆい、山崎華奈、吉越千帆 他

日時= 8月30日(金) 6時30分 開演
    8月31日(土) 1時30分 開演

会場=呉竹文化センター

女たちの、命と友情のハーモニー。

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2024年10月 

俳優座劇場プロデュース公演
『夜の来訪者』

作/J・B・プリーストリィ
脚色/八木柊一郎
演出/西川信廣
出演/柴田義之・瀬戸口郁 他

日時= 10月6日(日) 昼公演
    10月7日(月) 夜公演

会場=呉竹文化センター

社会派ミステリーの傑作。

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2024年12月 

劇団東京ヴォードビルショー公演
『その場しのぎの男たち』

作/三谷幸喜
演出/鵜山 仁
出演/佐藤B作・佐渡 稔・あめくみちこ 他

日時= 12月8日(日) 昼公演
    12月9日(月) 夜公演

会場=呉竹文化センター

政治家を笑う、伝説の傑作喜劇!

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お問い合わせ➡京都労演 TEL075-231-3730 FAX075-211-7855


観劇感想

2023年8月 文学座公演 『五十四の瞳

朝鮮人学校が政府によって認められない各種学校扱いとしてあった、北と南にそれぞれつながる形として、朝鮮総連と民団に分かれていったこと、国籍の選択を迫られていたこと、
等は、ちらちらとした知識として知っていたが、戦後まもなくGHQの占領下で、在日の人達の熱意のもとにいち早く朝鮮人学校が設立されていたこと、冷戦の始まりと共にその閉鎖命令が、GHQの指示とそれに追随する日本政府によって出されたことなどは知らなかった。
ましてや、僻地といえるような瀬戸内海の島で、日本人も共に学んでいたことなど、全く初めて知った話だった。
先日訪れたウトロ祈念館でも、その頃の事情が展示されていたが……
共に学んだ3人の日本人・朝鮮人の友情を元にした青春劇であり、軽くそしてコミカルに語られているところもあったが、ある意味、僻地的な環境だったために、共に学ぶことが可能・現実的だったのかもしれない。石切りという過酷な仕事を通じて、日本人も朝鮮人も共に生活していたのかもしれない。
それでも、世界的な動き・政治的な動きは、この3人、周囲の大人達、を複雑な状況に追い込んでいったのだ。
朝鮮人学校の閉鎖命令、反対する人たちへの弾圧…戒厳令が出された、というような状況まであったのだ…
冷戦構造と朝鮮戦争。朝鮮人同士でのいがみ合い。続いてきた日本人からの差別。3人の若者たちの中での葛藤。北朝鮮への帰還の動き。等々。
そうした様々の状況に翻弄されながらも、明るく生きていこうとするカン・チュンファ、ホン・グァンス、キム・クムジャ達の気持ちに希望を見た。

2023年10月 劇団文化座公演 『炎の人』

劇団民藝、滝沢修の名演で有名になった、ゴッホ 「炎の人」。京都労演の例会での演技が強く印象に残っている。
それとはまた異なり、作家三好十郎がわざわざ声をかけたという、劇団文化座の公演、しかも今回は、若きゴッホの苦悩をその年齢とほぼ同年齢の、藤原章寛が演じるということで、大いに期待していた舞台だった。が、ややがっかりなことが多かった。
主演の藤原、さらに主な相手役ゴーガンの白幡大介はともかく、他の俳優たちのセリフの聞き取りにくいこと。老婆役で1場に登場した佐々木愛は別格として、抗夫の一部・娼婦のシィヌ・パリの画家たちの言葉が、ただ大きくがなり立てているだけのように聞こえ、ちっともこちらの心に響いてこなかった。
娼婦シィヌの怒りは分かるが、何を憤っているのか、パリの画家達、皮肉屋ロートレックの独特の皮肉がなかなか聞き取れず、理解できなかった。
観劇した場所が中央の通路より3列ほど後ろで、そんなに悪い場所ではなかったはずだが、私自身の耳もかなり悪くなっていることもあるのか、どうもうまく聞き取れないところが多かった。特に若い俳優たちのセリフが声を大きくしているだけで、通ってこない声だった。
ゴッホに関しては、あまりにも厳しく己の人生を・己の絵を追い求め過ぎたのではないか?
伝道協会の伝道師として、貧しい抗夫達の立場に立って行動するが、抗夫達の役に立つことが叶わず、布教よりも抗夫達の立場にたっての行動故に伝道協会からも解雇されてしまう。
ハーグに移り住んだ後は、弟達の援助で峩々を目指すが、絵への情熱・シェイへの愛もシェイ本人、従兄で絵の指導をしてくれていたモーヴには伝わらず、一人で苦悩する。
弟の援助でパリに移り住み、多くの画家達と交わり、その影響を数多く受け、画風も多いに変わっていった。しかしあまりにも頑なに・情熱的に絵に打込み、絵の中に実体を描きこむというゴッホの狂気的な言動・行動は、画家たちには受け入れられず、唯一皮肉的な、ゴーガンの“物まねで、構図もなってない下手な絵だが、その中にも何かがある”という言葉に励まされる。
やがてアルルに移ったゴッホは、明るい太陽のもとで、思うがままに描き、やっとやってきたゴーガンとの共同生活にも満足していく。
しかし、彼の絵は全く売れず、ゴーガンの痛烈な批評も含めて、自らの絵に満足できないゴッホは、酒にもおぼれ、次第に精神を病んでいく。
余りにもストイックに絵というものをとらえすぎるのか?自らの絵に満足できず、絵も全く売れず弟にすっかり寄りかかっている自分への自責の念、ゴーガンに対する友情とは別に激しい嫉妬の念、情熱過ぎるが故の苦悩。次第に精神を病んでいくゴッホ。
なかなかの演技だった。
遂に自らの耳を切り落としてしまう。
死後かなりたってからやっと評価されたゴッホ。その強烈な精神と絵は、同時代のフランス人・オランダ人には受け入れられなかった。正に悲劇の人である。
最終場面でのゴッホをたたえる数々の言葉・賛辞は、まさに三好十郎のゴッホ愛の言葉であろう。そして、なぜこんなにも人々の、貧しい人々に寄りそうとしたゴッホの心が、我々の心に響いてこなかったかの嘆きかもしれないと感じた。

2023年12月 青年劇場公演 『星をかすめる風』

色々の問題を投げかけているイ・ジョンミョンの作品を、シライケイタが、青年劇場のメンバーがどう描いているか興味があった。が、意外と、原作に次々と現れる場面を比較的忠実に劇化していたように思う。それだけに、この小説の持つ問題点をストレートに観客に投げかけていると感じた。演出家が独自の解釈を展開するのでなく。
詩の持つ美しさはなかなか理解できないが、最後の場面でのユン・ドンジュの朗読は、朝鮮人だけでなく我々にも自然を・自分を愛し、魂が空に登っていくような高揚感を感じたし、エピローグの渡辺雄一の質問への回答は正に懺悔の言葉であり、私たちに問う言葉でもあった。
なかなかの好演だった。

2024年2月 加藤健一事務所公演 『サンシャイン・ボーイズ』

抜群に楽しい劇だった。クラークとルイス(加藤健一と佐藤B作)の絶妙の言葉のキャッチボール。皮肉に皮肉で返すやり取り。この面白さに尽きる。

それにしてもクラークはなぜあれ程ルイスとの再演を嫌ったのだろうか?43年もの長きにわたって組んできた相棒なのに。

「顔を見なくなって11年、口を利かなくなってからは12年」…何がそこまでクラークを追い込んだのか?“コント上での胸の突き、飛び出してくる唾”、とクラークは語っていたが、そうではないのでは。

クラークもルイスとのコント…大いに受けてるとは言うものの長きにわたって続けてきたコント…に、ある意味限界を感じ始めていたのではないか?そんなある日突然にルイスが

「もうできない。すまない。」の言葉を残して去っていった。先を越されたような行動に腹立たしく感じたのではないか?

それがこじれ、2度と会いたくない。という気持ちが……

それにしても、未だに自分の才能を信じ、仕事が回ってこない、受けない、そんな自分に苛立ち、しかし甥でマネージャーのベンにも虚勢を張ろうとする。

久し振りに会ったルイスから、“ギャグを楽しんでなかったのじゃないか?生真面目に考えすぎていたのではないか?ギャグはしょせんギャグさ”と言われたように、ヴォードヴィルに余りにも気まず目に取り組んでいたかもしれない。

ルイスのように、ある意味限界を感じ、スーッと消えて田舎でのんびりするのも良かったのでは?

それにしても、今でも自分をすごい芸人に見せようとする意地、虚勢は立派なものだが、ついに心臓発作を起こす。

そんなクラークに陰ながらものすごく心配するルイスの優しさ。でも、見舞いに来て、クラークの虚勢に会うと、ついつい自分も虚勢を張ってしまう。田舎暮らしの充実を語ってしまう。

ニュージャージーの老人ハウスに入ることを告げ、たまには顔を見せてくれというルイスに、自分も入ることを決断しつつあったクラークは“そういうことはありかも”と答える、

その最後のある意味での和解の2人のコメディアンの姿が、暖かかった。

ニールサイモンの喜劇。言葉のやり取りの素晴らしさ、醸し出す楽しさ、笑いはさすがである。

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