観劇

https://ameblo.jp/mojo-mickybo/京都労演で一緒に劇を見ませんか!
京都労演は鑑賞団体です。6回/年の例会があり、劇を鑑賞しています。
また単に劇団側から示される劇を鑑賞するだけでなく、見たい劇・要望を劇団側に伝え、共に良い劇を作るため頑張っています。

 

京都労演の詳しいことは

これからの例会

2025年6月 

劇団チョコレートケーキ公演
『ガマ』

 

作/古川 健
演出/日澤祐輔
出演/大和田獏・岡本 篤 他

6月20日(金) 午後6時30分開演
  21日(土) 午後1時30分開演

会場=呉竹文化センター

沖縄戦。真っ暗闇のガマの中で出会った6人。
一筋の光が差し込み、そして…。

戦争末期の沖縄。そのガマには負傷した少尉、聖戦を信じる少女、生徒を死なせてしまった教師、二人の兵士と地元の老人が身を潜めていた。米軍の気配が近づく中、彼らは少女だけは助けたいと心を合わせ始める。

過去の公演
公演案内(中西理による紹介)

2025年8月

文学座公演
『欲望という名の電車』

 

作/テネシー・ウィリアムズ
演出/髙橋正徳
出演/山本郁子・鍛治直人・稲岡良純 他

8月29日(金) 夜 
  30日(土) 昼

会場=呉竹文化センター

文学座の財産演目にして不朽の名作。

アメリカ南部の大農園で、上流階級の娘ブランチはすべてを失い、ニューオーリンズの猥雑な下町に住む妹夫婦の元に身を寄せる。過去の幻影に捉われる彼女と、逞しく今を生きる妹ステラ。粗野なその夫スタンリー。テネシー・ウィリアムズの最高傑作を見事に継承!

2025年9月 

イマシバシノアヤウサ公演
『モジョ ミキボー』

 

脚本/オーウェン・マカファーティ
演出/鵜山 仁
出演/浅野雅博・石橋徹郎

9月26日(金) 夜
  27日(土) 昼

会場=府立文化芸術会館

鵜山×浅野×石橋 文学座話題のユニット。

1970年、アイルランド・ベルファスト。映画『明日に向かって撃て!』に憧れる二人の少年、モジョとミキボー。異なる宗教の家庭に育った二人は出会い、越えてはならない橋を渡る――。

イマシバシノアヤウサのブログ

 

お問い合わせ➡京都労演 TEL075-231-3730 FAX075-211-7855


観劇感想

2024年2月 加藤健一事務所公演 『サンシャイン・ボーイズ』

抜群に楽しい劇だった。クラークとルイス(加藤健一と佐藤B作)の絶妙の言葉のキャッチボール。皮肉に皮肉で返すやり取り。この面白さに尽きる。

それにしてもクラークはなぜあれ程ルイスとの再演を嫌ったのだろうか?43年もの長きにわたって組んできた相棒なのに。

「顔を見なくなって11年、口を利かなくなってからは12年」…何がそこまでクラークを追い込んだのか?“コント上での胸の突き、飛び出してくる唾”、とクラークは語っていたが、そうではないのでは。

クラークもルイスとのコント…大いに受けてるとは言うものの長きにわたって続けてきたコント…に、ある意味限界を感じ始めていたのではないか?そんなある日突然にルイスが

「もうできない。すまない。」の言葉を残して去っていった。先を越されたような行動に腹立たしく感じたのではないか?

それがこじれ、2度と会いたくない。という気持ちが……

それにしても、未だに自分の才能を信じ、仕事が回ってこない、受けない、そんな自分に苛立ち、しかし甥でマネージャーのベンにも虚勢を張ろうとする。

久し振りに会ったルイスから、“ギャグを楽しんでなかったのじゃないか?生真面目に考えすぎていたのではないか?ギャグはしょせんギャグさ”と言われたように、ヴォードヴィルに余りにも気まず目に取り組んでいたかもしれない。

ルイスのように、ある意味限界を感じ、スーッと消えて田舎でのんびりするのも良かったのでは?

それにしても、今でも自分をすごい芸人に見せようとする意地、虚勢は立派なものだが、ついに心臓発作を起こす。

そんなクラークに陰ながらものすごく心配するルイスの優しさ。でも、見舞いに来て、クラークの虚勢に会うと、ついつい自分も虚勢を張ってしまう。田舎暮らしの充実を語ってしまう。

ニュージャージーの老人ハウスに入ることを告げ、たまには顔を見せてくれというルイスに、自分も入ることを決断しつつあったクラークは“そういうことはありかも”と答える、

その最後のある意味での和解の2人のコメディアンの姿が、暖かかった。

ニールサイモンの喜劇。言葉のやり取りの素晴らしさ、醸し出す楽しさ、笑いはさすがである。

 

2024年4月 劇団東演公演 『獅子の見た夢~戦禍に生きた演劇人たち~』

治安維持法の適用拡大、日中戦争から太平洋戦争への戦禍の拡大、そして演劇人たちへの圧力。なかなかその実態は分からなかったし、言葉では語られていても、自分の中へはなかなか入っていかなかった。

しかし、何とか芝居を続けたい、芝居を通じて自らの思いを観客に訴えていきたい、と必死で稽古に励む劇団員の切実な思いは、よーく伝わってきた。

中心の3人(丸山定夫、八田元夫、三好十郎)の新劇にかける思い、そして迷いながらも芝居の道、そして決死の覚悟で広島行を目指す劇団員の熱い思い……。

なかなかいい芝居だった。

 

2024年6月 劇団前進座公演 『人情噺「文七元結」』 併演楽しい歌舞伎

なかなか楽しい時間だった。

酒と博打に明け暮れて仕事をまともにせず、借金だらけで年も越せそうになく、女房と子供を泣かせている左官長兵衛。しかし根が単純なのか、正直なのか。

娘お久が思い余って、吉原の佐野屋に自ら身を売って、お金を作ろうとする。

佐野屋に呼び出された長兵衛は、少し渋っていたが、素直に娘に謝り、酒も博打も絶つと誓って、50両の借金をもって帰宅へ。

帰り道、集金の50両を盗まれ、思い余って身を投げようとしている文七に出会い、迷った挙句、“命は金より大事”と、50両を投げ与える。

帰宅し、50両はどうしたと、女房ともめる長兵衛。話が通じず、ふてくされて寝ようとする長兵衛のもとへ、文七と店の旦那和泉屋清兵衛が現れ、文七は50両を取られたのでなく、賭場に忘れていた。金は和泉屋に戻り、事情を聴いた和泉屋の計らいで、長兵衛の娘お久をもらい受け、文七との仲も取り持つ。

実にめでたい大団円の話。

解りやすい単純な話なのだが、長兵衛が、迷いながらも50両を投げだすまでの心の動き、

和泉屋が返すという50両を本当はほしいのだが見栄を張って突き返そうとする江戸っ子のやせ我慢、何とか受け取ろうとする女房お兼の動き、実に落語的な話の展開・動き、に、圓朝の話作りのうまさを感じた。

また話とは別に、裏長屋のうらぶれた家から短時間で、鮮やかな吉原置き屋に入れ替わる舞台設定-大道具の見事な働きに感心。

演劇教室で、紹介のあった、太鼓の音であれだけいろいろのものを表しているとは知らなかった。雨・雷などの天候。盗人の雪の中を歩く様、武士の威張った歩き、取り手との戦いの様、等々。

単純な、笛・太鼓・三味線といった楽器が、いろいろの情景を醸し出している。

なかなか奥の深いこと。

 

2024年8月 劇団NLT公演 『マグノリアの花たち』

アメリカ南部の町の美容室に集う6人の女たちの物語。
それぞれの過去・問題を抱えながらけなげに生きている女たち。それぞれの過去の生活・問題といいながら、主役といって良いシェルビーの生き方に余りにも話が集中しすぎ、他の人達のありようが今一つ分からなかった。
アメリカを中心に世界各地で上演されてきた名作というが、残念ながら私には余り訴えかけてくるものがなかった。

 

2024年10月 俳優座劇場プロデュース公演 『夜の来訪者』

なかなかスリリングな劇で、テンポの良さが目立った。
娘の婚約者迎え、一家団欒の夜を過ごす倉持家。そこへ影山と名乗る人物の突然の来訪。そして「今夜ある女性が病院に運び込まれ、亡くなりました。多量の消毒剤を飲んで。」と告げる。「その話が私達とどう関係するのかね」と、倉持幸之助。しかし、企業経営者の幸之助は、かっていわれのない理由で、彼女を解雇していた。
影山警部の巧みな一人一人への尋問で、幸之助以外の人物と亡くなった女性との関係が、次第に明らかになっていく。
それぞれが困惑・混乱に落ちる中で、影山は去っていく。
亡くなった彼女はなぜ死んだのか?
あの影山という人物は、本当に警察の人間なのか?そうでないとすれば何者なのか?
そして最後のどんでん返し。

実にテンポの良いスリラー劇だが、単なるスリラー劇でなく、見終わった後、何か心に残る・何か考えさせるような劇だった。

 

2024年10月 劇団東京ヴォードビルショー公演
『その場しのぎの男たち』

東京ヴォードビルショーらしい痛快な劇だった。ダジャレやバタバタの動きながら、前代未聞の事件発生にどう対処していいかわからず、右往左往する松方内閣の大臣たち。状況を十分把握できず、子供だまし的策しか出てこない。遅れて到着した知恵袋的陸奥宗光の対処案にした所で、一見まともなように見えて、対処がうまくいかなくても最後は、うらみつらみの伊藤博文に責任をおっかぶせようという策。当の伊藤博文の知恵袋的人物から間違いを指摘されて出てくる次の作は、犯人津田三蔵を狂人に仕立てようとしたり、ロシア皇太子を殺害しようとしたり、最後は犯人の津田三蔵を殺そうとしたり、正に自分達さえ何とか身がたてば他人はどうなっても良いという無茶苦茶な案。伊藤博文にしても、”どうするんだ”と大臣を責めるばかり。最後はロシア皇太子の対応で救われ、日本国伊藤博文殿と、感謝状をもらい、悦に入っているだけ。
犯人の津田三蔵から”お前らお国のことを考えてるんか。自分に都合のいいことことばかり考えて、それでも政治家か?”と言われても”自分第一に考えて何が悪い。みんなそうだ。政治家だとて…”という言葉の空虚さ……
バタバタ劇だが、ちょっと風刺のきいた、さすが”伝説の喜劇”といわれるだけの痛快な芝居だった。

 

2025年4月 劇団前進座公演
『あかんべえ』

現実と妖しの世界が微妙に交錯する独特の空気感が漂う宮部みゆきの小説の世界をどう舞台化するのか?大変興味深く思っていた前進座公演。
料理屋「ふね屋」を開こうとした場所には、五人の「お化けさん」が成仏できずに彷徨っていた。高熱に倒れ死の淵をさまよったふね屋の一人娘おりんは、お化けさんが見えるようになり、お化けさん達と関わっていくうちに、おりんの優しさが、お化けが成仏できずにいる理由を解きほぐし、30年前の一つの事件へと収斂していく。そしておりん自身の秘密も明らかになる。その謎解き的おもしろさ。
一つの舞台空間の中に現実と妖しの異なる世界をうまく融合して表現させ、また、怨霊たちの世界を歌舞伎的表現―立ち回り、所作、道具、等々―を用いて、見事に表現していた。
人間の欲・妬み・恨み等々から生まれ出る妖しの世界も、優しさの中で見事に溶けていく。

宮部みゆきワールドを見事に表現した舞台だった。
充分楽しませてもらった。

 

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